三洋信販創業者、椎木正和さん死去
朝日新聞デジタルより
福岡市に本社を置いて消費者金融業を展開した「三洋信販」の創業者で元社長の椎木正和(しいき・まさかず)さんが、16日に肺炎で死去していたことがわかった。88歳だった。葬儀は19日午前から近親者で営んだ。喪主は妻マキエさん。
1959年に三洋信販の前身の三洋商事を創業。72年から三洋信販社長、98年から会長を務めた。07年に三洋信販が消費者金融大手のプロミス(現・SMBCコンシューマーファイナンス)の子会社となり、会長を退いた。
一時代を築いた大手の一角であった三洋信販ですが、業界の再編成でプロミスの子会社となって消滅、フォーブスの発表する日本の富豪TOP40にも名を連ねるなどしたその創業者もなくなられたというニュースをきくと、栄枯盛衰を感じます。
かつては東証にも上場していて、CMには鈴木亜美やブラット・ピット使った印象的な物もあり、一世を風靡していましたので一つの時代の終わりを感じさせ、さみしい感じもありますね。
三洋信販の紹介を少しだけ
三洋信販は1959年に創業、福岡市に本社を置いていた西日本を中心とした消費者金融です。ポケットバンクというブランド名でCMをやっていたので、関東圏の方には全国展開後のそのブランド名のほうが有名かもしれません。
1993年には、株式を店頭公開。翌1994年には、東京証券取引所2部、大阪証券取引所2部、福岡証券取引所にそれぞれ上場を果たします。
バブル崩壊後の需要の増加で、その他の大手と同じく大きく業績を伸ばしていった会社です。
1996年には、東証、大証を1部に指定替えを行います。
2000年1月にはさくら銀行、日本生命、エーエムピーエムジャパンとともにさくらローンパートナーを設立、9月より「アットローン」として事業を開始させます。
消費者金融の成長性や利益の高さにメガバンクや他業界が目をつけ、いくつかの銀行系消費者金融が生まれましたが、その先駆けが三洋信販がさくら銀行(現三井住友銀行)と作った「アットローン」です。
同様の形態で生まれた消費者金融には、「モビット」「キャッシュワン」がありますが、業界再編によってモビット以外は吸収合併され姿を消しました。
その後も、大手6社の一社として営業を続けますが、2006年に大きな転機が訪れます。
2006年の1月13日、最高裁にて、いわゆる「グレーゾーン金利」の「みなし弁済」は認められないとの判決が出たことで、消費者金融各社はグレーゾーンでの貸し付けが実質できなくなり、過去に金利収入として顧客から支払われたグレーゾーン金利分についても返還請求を起こされると、返還しなければならないという状況に陥りました。
業界は混乱を極めますが、その中で三洋信販は返還請求を起こされた際、返還額を少しでも減らすため顧客の取引履歴を改竄するということを行ってしまいます。
その改竄が公になることで、案用信販は2006年の12月に金融庁より全店業務停止の行政処分を受けることになります。
その後、会社の生き残りを模索した三洋信販は2007年には、プロミス(現、SMBCコンシューマーファイナンス)の完全子会社となり、9月には椎木正和氏が代表を辞任します。
2010年には、プロミスに吸収合併されることとなり、三洋信販は解散、半世紀にわたったその名前を消すことなります。
故人にご冥福を